鎌倉高校の何気無い日常 1







大音響が校舎を揺るがす。

ちょうど授業の後半にさしかかり、年表の該当箇所にアンダーラインを引かせていた佐々木教諭は
この時間だったことを忘れていて驚き、生徒の会話で思い出したのだった。



   「ああ! 今日が6組だったんだ!」



   「新井先生、大丈夫かな…」







2階の廊下に待機していた校長と教頭は、やはりダメだったかとガックリ膝をついた。







2年6組担任の星教諭は、2年3組のグラマーの授業だったのだが、
この時間だけは、自分のクラスの事が気がかりでミスを連発していた。
生徒が不審がるので



   「今日、私のクラスがね、ちょ」



と言いかけただけで、そのクラス中が了解し、一斉に来るべき事態への緊張と、
その後に待ち受けている星先生の苛酷な運命への同情に溢れ、涙を流さずにはいられなかった。







職員室に待機していた新任教諭の遠井は、その音と同時に職員室を飛び出し、2階へと駆け上がって行った。
そして、先週の職員会議を思い出して、「これの事か」と呟いた。











   「え〜、では次の議題ですが、これは家庭科の新井先生からお願いします」



途端に職員室の空気が一変し、緊張が張りつめた。



   「では…。え〜、今回の2学年の調理実習の献立ですが」



説明を始めた新井教諭の緊張をよそに、職員室の隅に座っていた地歴科の新任教諭、・遠井は、
隣に座る、今年、他の県立高校から転任してきた同じ地歴科の佐々木に尋ねた。



   『何で、2学年の調理実習の献立が職員会議の議題として取り上げられるのですか?』



   『さぁ…? 僕も今年、鎌高に来たから…』



   『前任校では、こういう献立についての職員会議って無かったんですか?』



   『無い無い、いや〜〜教員15年近くやってて高校も4校目だけど、初めてだね。
    どこの高校でも、家庭科の先生方で決めてたね』



   『ですよねぇ。これ、何なんですかね?』



その様子を窺っていた、地歴科の主任の雨宮が小声でこの会話に加わった。



   『それはですね、去年ちょっとした事故があったからですよ』



   『事故?』

   『事故ですか?』



   『ええ』



   『どんな事故です?』



   『1年の調理実習中に、2階の調理実習室で爆発があったんですよ』



   『ば、爆発!』



   『あ、何か去年いた学校で話題になってたな。でも、確か怪我人は奇跡的に0だったって…』



   『ええ、不幸中の幸いって言葉にぴったりでしたよ。
    新聞にもデカデカと載ってしまいましたからね『調理実習中に爆発事故』って。
    佐々木先生、読買新聞なんてですね、高校名まで載せて[安全管理に問題か?]って』



   『でもあれ、原因が不明だったんですよね』



   『いや、本当はこの学校のみんな、原因は分かってるんですよ』



   『え?』

   『それって』



   「えへん! 地歴科の先生方、お静かに! では、この献立について何かご意見は?」



   「あの、ちょっと良いかな?」



   「はい、校長先生、どうぞ」



   「どうしても調理実習は実施せねばならないのかね? 新井先生」



   「ええ、教育課程にもありますし」



   「では百歩譲って、調理実習は行う。行うとしてだよ、その……火を使わない何か献立というのは…」



   「ああ、それは名案です! どうでしょう新井先生、例えばかき氷とか」



   「12月にかき氷はどうかと……。やはり調理ですから茹でるか焼くか炒めるか煮るかしないと…」



   「前任の校長からも、くれぐれもと言われているのだよ」



   「で、では、せめて和食はやめて、何か別の…」



   「では、では…ケーキなんでどうでしょう」



   「ケーキ…」



   「ええ、クリスマスも近いことですし。デコレーションはフルーツ、生クリームを作れさえすれば」



   「新井先生、それは名案!」



   「で、スポンジはどうするのです?」



   「市販のものを使いなさい!」



   「校長、それはいくらなんでも…」



   「それでは、調理ではなくて単なるデコレーション実習に過ぎません」



   「薄力粉とベイキングパウダーを卵と牛乳で撹拌して、オーブンで焼くだけですから」



   「オーブンか……」



   「昨年度のように蒸籠で蒸すわけではないですし」



   「しかし」



   「オーブンの管理は私が責任持って行い、春日さ…いえ、生徒には一切触らせませんから」



   「本当だね、新井先生」



   「はい」



   「……分かりました」



   「では校長先生、それで」



   「いや、もう一つ! 複数教員指導制の導入の為…、という名目で大熊先生、立ち会ってください」



   「え?? 俺、ですか?」



   「ええ」



   「でも、俺、体育科っすよ?」



   「でもあなたは2年6組の体育を受け持っていますよね」



   「は、はい」



   「それに6組の副担任でもいらっしゃいます」



   「教頭、グッジョブ!」



   「恐縮です」



   「副担任にして体育担当、これ以上の理由が必要ですか?」



   「だ、だったら、担任で英語担当の星先生は」



   「星先生は、出来上がった料理を召し上がるのですよ」



え!! と、職員室中の教員が星を注目した。
星教諭が顔色無く頷くと、一同は同情の涙を禁じ得なかった。



   「そ、そうでした……分かりました。
    俺、いや私大熊重之、星先生と新井先生の為にも懸命に務めさせて頂きます!」



   「大熊先生、受けてくださいますか!」



   「はい!」



   「大熊君! 新井先生と6組の生徒のこと、頼みましたよ」



   「はい! 校長先生」











2階の調理室に駆けつけた教員達は、



オーブンの前で、全身、真っ白に粉を浴び、漫画のように髪を逆立てた新井先生が



   「どうして? どうして?!」



と半ば放心して立ちつくす姿と、
生徒を庇ったのか咄嗟に掴んだ椅子と自らの身体で、自分の後ろの生徒十数名を庇って
これまた粉だらけで真っ白になって立ちつくす大熊先生の姿が目に映った。



それ以外の生徒は…
多分そうなることをある程度予想していたからか、オーブンとは反対側のテーブルの陰に隠れ、難を逃れていたが、
さすがに実習室中に満遍なく降り注いだ小麦粉で、制服と言わず髪の毛と言わず、白くなっていた。
その、まだ煙と小麦粉とベーキングパウダーの舞っている教室の中央で



   「みんな、ごめんなさい!!」



と謝っている春日望美という生徒がいた。



   「また、やっちゃったよ〜」



と、その生徒は苦笑いをするのであった。











09/06/24 UP
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